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HASTA LA VISTA BABY

なぜ岩波文庫を読まなくなったか

岩波文庫と言えば、国内外の古典的に価値を持つ文学作品や学術書を幅広く収録している、インテリ大学生御用達の本です。

僕も大学時代に何冊か読んだ記憶があります。

実行しませんでしたが、大学の図書館にある岩波文庫を片っ端から読んでいきたいと思っていた時期もありました。

内容は難解でしたが、熟考することによって新たな扉が開くのではないかと思っていたのでしょう。

ところが、大学を卒業したらめっきり興味を失ってしまいました。

わざわざ小難しい言葉を並び立て、簡単な事象をわざわざ難解に捉える感じが受け付けなくなったというのが正直なところ。

これほど「スピード」が意識される現代。パッとみてわかりにくいものは受け入れられないのです。

 

最近、『教養主義の没落』という本を読みました。

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

マルクス主義がもてはやされていた時代、岩波文庫を中心としたアカデミックな世界が幅を利かせていて、『ツァラトゥストラはかく語りき』『若きウェルテルの悩み』『純粋理性批判』などを読んでいなければ、話にならない。そんな時代であったそうです。

岩波が教養。教養の差が身分の差という認識でしたが、大学への進学率が上がるにつれ、それまでの大学生の特権であったアカデミックな世界が崩壊します。

大学生の大衆化が進めば、サラリーマンも大衆化します。もはや、大卒特有の権利はなくなり、教養の多寡によって生み出される差異が空々しいものになりました。

次に重要になってくるのが様々なビジネス手法。教養知は無用化します。

大学生の読書週間も陰りが見え始め、『プレイボーイ』『週刊少年マガジン』などの雑誌の売れ行きがよくなります。

この風潮はドンドン進んでいき、東京大学の学生ですら、『週刊少年ジャンプ』『朝日ジャーナル』などを好んで読むようになります。

岩波文庫が幅を利かせていた時代は終わりを告げました。

 

難解な古典を読むことによって人格形成がされると、本気で考えていた時代から、漫画を好んで読む時代への変化、ビジネスに直接役に立つような本を好んで読む風潮の醸成。

僕が大学時代の岩波を中心とした、アカデミックな世界を抜け出し、現代のトレンドに即した本を好むようになった理由はずばり、「周りの環境の影響で、必要だと思うものが変化したから」

大学時代は難解な本を読むことによって得られる教養で、自分というものが形成されると考えていました。多くのビジネス雑誌でも「教養」がことさら、もてはやされていましたからね。今はどうなのかは知りませんが。

何の根拠もないのに、教養を身に着けている自分はどこにいっても活躍できると思っていました。

ところが、社会に出てみたり、少しでも市場に出てみたりすると、教養が役に立たない。教養がいくらあっても仕事ができるできないは全く関係がありません。

色々な経験をしたり、色々な人にあって話したり、色々なジャンルの本を読むことの方が重要だと気付き、岩波文庫を中心とした学術系、古典を読まなくなりました。

推測ですけど、昭和の学生たちが岩波文庫から漫画に移行したのもこういった理由ではないのでしょうか。必要じゃなくなったし、くだらないと思ったのです。

一つのことについて思考をめぐらす時間がないのもありますが。

 

ある意味、こういう古典や難解な学術書を心置きなく読めるのは大学時代だけかもしれませんね。

社会人も時間がある休日とかにひたすら思索にふけるのも、いいかもしれません。

一つのテーマを、頭がねじ切れそうになるくらい考えて、自分なりの結論を出すということは重要だと思っています。

しかし、そういったアカデミックな世界に没頭しすぎると、「生きていくのに本当に重要なことは何か」や「自分が今いる環境に良い影響を与えるにはどういう行動をとったらいいか」がボヤけてしまう恐れがあります。

楽しいですけどね、思索をめぐらすことは。