Now Updating...

HASTA LA VISTA BABY

これが”ゴウ”だ

”ゴウ”のプロフィールです。

もっと面白く楽しい人生を送りますよ~~~!!!

 

 

来歴

1991年11月1日誕生。 現在25歳。

千葉県出身。

一浪の末、早稲田大学社会科学部に入学。

新卒で大手中古車販売会社に入社するも、わずか半年で退職

半年のフリーター生活の末、中小専門商社に入社←現在

 

幼少期

幼稚園の時、弁当の時間、一人歩き回りながら飯を食うこどもであった。

集中力が持たないからなのか、食べることに興味がなかったのか、かなり弁当を残していた。母よ、申し訳なかった。

小学校時代はもっぱらポケモンごっこをしていた。

勉強にはまったく興味なし。

当時から、やりたくないことは徹底してやらない子供であった。

水泳を習わされていたが、行きたくなくて押し入れに隠れていた。

ボーイスカウトもやっていたが、モチベーションは皆無。

テニスも習わされていたが、興味がないので全く身に付かず。

英語も近所の友達を習いに行っていたが、意味不明すぎてまったく身に付かず。

Canの意味もわからない。16が発音できないなど重症であった。

僕が親になったら、子供が本当にやりたいことをやらせようと思った。

 

中学時代

適当に卓球部にはいって、適当にこなしていた。

勉強も塾に通っていた分、学校の授業にはついていけたが、モチベーションは低い。

何もしなさすぎて、まったく思い出せない。特に中学二年の時代。

受験シーズンになったら、それなりに変化が起きた。

行きたい高校があったので、そこそこ勉強するようになった。

しかし、まったく勉強をする習慣がなかったため、全然集中力がもたない。

15分もすれば、席をたってしまう。

しかし、行きたい高校がある。そこで思いついた対応策は...

椅子に体をロープでしばりつけるという方法であった。

完全に馬鹿だ。しかし、勉強法も何も知らなかった僕は気合で解決するしかなかったのだ。

案の定、第一志望には受からず。

第二志望の私立の高校に入学。

 

高校時代

部活

小学校の時、テニスをやっていたからテニス部に入ろうかと思っていた。

しかし、コートが思ったより学校から遠い!

それだけの理由で断念した。

 

さて、最終的に何部に入ったのかというと...

弓道部である。

なぜ入ったかというと、かっこよかったから。

しかし、入部してみると、校内一礼儀に厳しい、かつ全国を目指すような部活であったのだ。

・先輩を見つけたら、全力ダッシュで、前に行き挨拶。

・後輩は先輩に気安く話しかけてはいけない。

・夏合宿前などに、他の部員がいる中で一人ひとり「ダメなところ」を先輩に指摘される「大説教会」がある。

など

今までの自分だったら、速攻で辞めている部活動であるが、なぜか闘争心MAX。

「ムカつく先輩は全員ぶっつぶして、何も言えなくしてやる」と思うに至った。

誰よりもでかい声をだし、誰よりも練習をした。もうぐうの音もでないくらいに。

高2の時に先輩をつぶすことに成功。部内で1位に。

「大説教会」では特に何も言われなかった。だって先輩よりやってますから。

 

勉強

勉強も気合をいれてやった。

部活が終わって21時に帰宅。そのあと2時間勉強。

眠い時はすぐに寝て、朝早く起きて2時間勉強。

勉強法の本を買って、実行してみる。

簡単に成績が上がっていく。

高校二年の終わりころには、英語の偏差値が73であった。

出身高校には偏差値60以上で校内にて表彰されるというルールがあった。

部活もがんばり、表彰もされる。

模範的な高校生活をおくっていた。しかし、調子に乗り始めた時が一番危険なのだ。

 

転がり

効率という概念を完全に勘違いし、ただ楽をするためだけの言い訳に使ってしまっていた。

そして、部活と勉強という両輪で成り立っていた高校生活は、部活の引退ということで

完全崩壊する。

何もかも中途半端になり、勉強ができるというプライドだけが先行し、実力に伴わない志望校設定をした。

案の定、全敗。

死んだ方が世の中のためなんじゃないかと本気で思ったりした。

自分を支えてくれた家族、友達に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

復活?

こうして浪人生活が決定し、まず最初に何をやったか。

・高校3年生の1年間で何がいけなかったのかを洗い出す。

・勉強法を再確認。

・この1年は一喜一憂しない

もう徹底的に洗い出しました。気合十分。一発逆転だ!

 

軽度なうつ病に

夏の終わり、体に異変が。

ずっとめまいがする。

息の仕方がわかなくなる。

全員自分の悪口を言っていると錯覚する。

不眠症。目を閉じたら、そのまま目が覚めないんじゃないかという根拠のない妄想。

ほんとにヤバかった。

一時期勉強にまったく身が入らない時期がありました。

それでも成績は下がらなかったのは唯一の救いですね。

 

どうやって克服したか

受験も直前期になり、そんな体の不調など気にしている場合ではなくなりました。

「もう死んだ気になってやろう」と吹っ切れたら、軽い気持ちに。

完全に回復し、第一志望である早稲田大学に入学することができました。

いや、スタートラインに立っただけなんですけどね。死ぬ思いでした。

 

大学時代

死ぬ思いで入学したというのもあり、ほとんどの感情が消え失せてました。

友達を作る気も起きず、サークルにもはいりませんでした。

ただ、中国語だけは面白かった。もともと英語が得意であったので、他の言語も楽しめたんですね。

また、中国語のクラスで変わったやつと友達になりました。

 

アプリ制作

その変わったやつは起業することを目論んでいました。

僕も「変わったことがしたい」と思っていたので、話を聞くことに。

どうやら、早稲田大学全般の案内をするようなアプリを創りたいとのこと。

「面白い」ということで、気軽に一緒に制作することになりました。

しかし、持ち前のくそっぷりがまた発揮され、挫折。

「変わったことがしたい」という気持ちだけで、実際やる気があったわけではなかったのです。

 

8か国語に触れる

中国語に始まり、言語学習に没頭して行きました。

韓国語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、アラビア語などに触れました。

目的はなく、ただ「勉強するのが面白い、世界中どこ見渡しても8か国語勉強している人はいないだろう」という理由で勉強していました。

この気持ちは今でも変わっていません。

 

塾講師にはまる

アルバイトは3年間塾講師をやっていました。

これが、ほんとにはまった。どうやって人をやる気にさせるか、大嫌いなものを大好きに変えるか。教えるとき以外どういうアプローチをすればいいか。など考えるのがほんとに楽しい。

僕の中で理論を確立させ、「英語をみるだけで吐き気がする」という生徒を英語好きに変え、県内で一番英語に力を入れている高校に合格してもらったり、「勉強にまったく興味がない」という生徒を明治大学に送り込んだりと、成果を上げていました。

「人の人生、考えを変えるというのはメチャクチャおもろいな」

こう思った時期でした。

 

就活は失敗

いくら成果をあげても、人からみたらバイトはバイト。

その他大勢とかわらない自己PRしかできませんでした。

その結果、明らかなブラック企業に内定。

「働いてみたら、案外乗り越えられるんじゃない?」という甘い考えで入社を決意してしまいました。

 

社会人1年目

早速、研修で正体を現しました。

・大声で営業訓を叫ぶ。

・そのせいで全員(400人くらい)喉を壊し、そこに細菌が付着、集団感染(喉風邪)に。

・「お前らなんか採用しなければよかったよ!!!」と言われる。

・謎に20kmくらい歩かされる。

などなど。

完全にパワハラ研修を受けました。

そして、配属地は北海道旭川市。

3歳くらいの時に行ったっきり、いったことがありませんでした。

 

半年で辞める

もう社風が合わな過ぎて、「辞めなきゃ、うつ病になって死ぬ!」と思ったので

適当に理由を考えて、わずか半年で退職しました。

 

フリーター生活

前職の経験から、働くのが怖くなり、なかなか就職活動をする気力がわきませんでした。

半年間、フリーター生活をします。その日暮らしの毎日。

英検1級を受験しましたが、3点足らず、不合格。

このまま同じ生活を続けていても、ダメだと思い、就職活動を始めます。

新卒時の就活の反省を活かし、誰かに相談しながら進めようと思い

リクルートのリクルーターに面談を申し込みました。

そしたら、色々情報をくれたり、職務経歴書などを手直ししてくれたりなど

新卒時にはなかったサービスを受けることができて、本当に助かりました。

 

2つ目の会社

今働いている中小の専門商社に就職することができました。

就活を始めてから、実際入社するまで3ヶ月でした。

会社を探すための軸としては「英語を使用して働けること」

「質問がしやすい環境であること」でした。

いや、ほんと誰かに相談するというのは大切なことですね。

 

現在

今は、働きつつ、独立する手段を模索しています。

ブログもフリーターの時からやっているのですが、もっと力を入れていきます。

やりたいことリストもガンガンこなし、より充実した人生を送る。

安易に流れにのらず、自分の考えで世の中を生きていきます。

僕の人生はまだまだ明るくできる。