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HASTA LA VISTA BABY

高学歴であることと人格が優れていることに関連性はない

今世間をにぎわせているこのニュース。

www.huffingtonpost.jp

豊田真由子議員が秘書に対して暴言・暴行を加えていた疑惑。

詳しいことは知らないけど、これが本当ならひどい話。

そして、僕が気になったのは「エリートなのに」というフレーズだ。

 彼女は私立桜蔭中高を経て、東京大学法学部を卒業。ハーバード大学大学院にも留学した経験をもつという、ただの高学歴を超えた、いわゆる”エリート”と呼ばれる部類だ。

そんなあらゆる難関を潜り抜けてきた人がなぜ...??という疑問を多くの人はお持ちであろう。

 

”エリート”であることに関しては否定のしようがない。

ただ、世間の人たちが当たり前のように持っている「エリート(高学歴)は人格的にも優れている」という考えには疑問を持っている。

「勉強ができることと人柄が優れているということ」に本当に関連性があるのか、もう一度考えてみてほしい。

僕は早稲田大学を卒業している。いわゆる高学歴という部類に属しているが、勉強と人格には何の関連性もないと断言できる。

 

まず、受験勉強でやっていることは「上から降ってくる課題をうまく処理すること」である。そこに何の創造性もない。それ以上でもそれ以下でもない。

そして優れた人格というのは様々な経験を積んで、より多くの人を動かすにはどうしたらいいか、こういう時、相手はどう感じるかなど徹底的に研究した結果ついてくるものだ。

 

なので、いくら勉強ができても、相手のことを考えられないようでは優れた人格は形成されない。ただの自己満足ですね、終わり。ということになる。

受験勉強からは「周りの人を動かすにはどういう人格がベストなのか」については学べない。やはり社会に出ても過去の経歴にあぐらをかかず、常に自分のことや周りの人のことについて研究していかなければならないのだ。

「このハゲーーーーーー!!」なんて言っているようじゃダメダメ。実はこの人の「有能期間」は勉強すれば何とかなる環境で完結しているということなのだ。

 

ただ、勘違いしてほしくないことは、口が悪いからといって人格が優れていないと断言するのは気が早いということだ。

例えばホリエモンこと堀江貴文さんはTwitterでわけのわからない質問や問いかけをしてくる人には「この馬鹿」などの言葉を投げかけるが、あんなに自分のノウハウや情報を外に発信しているひとはなかなかいない。はっきり言って親切にもほどがあると思っている。人格が優れているなぁと僕は感じる。

彼は東大に入学した経験をもっているが有能期間が受験勉強時代で完結していない良い例である。

 

勉強ができるからって周りの人をただただ不快にさせているようじゃ意味なし。

過去の栄光はさっさと捨て去り、今自分が周りの人たちにどういうことができるのかを考えることが本当の意味で社会性を身につけるということではないのか。