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日本で1番「経験豊富」な男です

日帰りで福島県・会津若松にいったのでご報告です

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2018年6月9日に福島県の会津若松へ日帰り旅行にいってきました。

幼少期にいったことがあるようですが、当然のごとく覚えていません。

 

東京から割と気軽にいける場所なので、日帰り地域として設定しました。

福島県って地図でみるとけっこう大きい県なので、見どころはたくさんありますよ。

郡山駅からバスで約1時間で会津若松へ

郡山駅から高速バスが出ています。

www.aizubus.com

約1時間ほどで到着します。運賃は1,100円です。

最初は「煮込みソースカツ丼」を食べる

「なかじま」というお店のソース煮込みカツ丼がマジでうますぎた…

r.gnavi.co.jp

会津若松発祥の伝説のメニューなんですけど、本気でおススメします。

まわりのお客さんも「うめぇ・・・」と言いながら食べていましたよ。

西軍墓地へ歩いていきます

墓地なので写真はとりませんでした。

戊辰戦争で若松付近で戦死した将兵の墓地になります。

戊辰戦争とは

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩長州藩土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。

戊辰戦争 - Wikipedia

懸命に戦った将兵たちの安らかな眠りを祈り、合掌しました。

甲賀町口門跡へ

若松では武士と庶民の生活区を城郭でわけていました。

甲賀町口門はただ一つ残る城郭の跡になります。

看板がなかったら、完全にただの壁だと思ってしますので、注意深く見てみてください。

西郷頼母邸跡へ

西郷頼母って?

西郷 頼母(さいごう たのも、文政13年3月24日1830年5月16日) - 明治36年(1903年4月28日)は、江戸時代後期(幕末)の会津藩家老近悳(ちかのり)。明治維新後は保科 頼母(ほしな たのも)と改名。号を栖雲、または酔月、晩年は八握髯翁と号した。

西郷頼母 - Wikipedia

西郷頼母が会津藩主松平容保に京都守護職の辞退を進言しますが、これが松平容保の怒りを買い、家老職を解任されます。

その後、戊辰戦争にて西軍が城下町に侵入してきたときに、家族ら21人が「邪魔になってはいけない」として自決をします。

なかには少女もいましたが、一家の意地をみせつけたできごとです。

 

ここ「西郷頼母邸跡」には妻・千重子の辞世の句などが残されています。

戊辰戦争の悲惨さはここ会津若松にいくと感じることができます。

会津若松のシンボル「鶴ヶ城」へ行きます

明治7年に一度取り壊されていますが、再建されました。

戊辰戦争では約1ヶ月もの間、激しい攻防から耐えた名城として知られています。

中にも入ることができて、戊辰戦争の歴史や新選組の歴史、白虎隊の歴史などを学ぶことができます。

 

白虎隊に関しては燃えさかる城を飯盛山の中からみながら、殿のことを思いながら集団で自決する様子が描かれた絵が展示されています。

*全員が自決したわけではありません。

 

白虎隊は16、7才を中心に構成された部隊でした。

今でいうところの高校生が殿様のことを思い、自分で死のうと思うなんて考えられないですね。あくまで絵の描写ですが、お互いの体に刃を突き刺す描写もあります。

本当のところは怖かっただろうな・・・・

最後は「御薬園」へ

御薬園(おやくえん)は、福島県会津若松市にある日本庭園である。会津松平氏庭園(あいづまつだいらしていえん)として国の名勝に指定されている。

御薬園 - Wikipedia

 薬草が栽培されているんですよね。

いいですよね、なんとも言葉にできないですけど、薬草育てているって。

とても落ち着く場所で、しばらく池のアメンボをみながらボーっとしていました。

 

何も考えないでボーっとするのも必要ですよ。

なんとなく精神的な疲れが解消されますよね。

まとめ

今まであまり知らなかった戊辰戦争の歴史を断片的にですけど、知ることができたので、具体的なことは本を読みながら勉強したいと思います。

 

自分の見聞きしたことをもとに本を読んだら絶対に面白いですからね。

旅をしていいインプットをするってものすごい豊かなことだと思いませんか。

 

福島県は広いので、もっともっと楽しめるはずです。

今回は日帰りなので、だいぶ局所的でしたが、福島をもっと知りたいですね。