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日本で1番「経験豊富」な男です

『沈黙』を読んでキリスト教迫害を恐怖、そして神の沈黙

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僕にとって125冊目となる『沈黙』の感想になります。

 

『沈黙』のあらすじ…

島原の乱が収束して間もないころ、イエズス会の司祭で高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマにもたらされた。フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴフランシス・ガルペは日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会う。キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。幕府に処刑され、殉教する信者たちを前に、ガルペは思わず彼らの元に駆け寄って命を落とす。ロドリゴはひたすら神の奇跡と勝利を祈るが、神は「沈黙」を通すのみであった。逃亡するロドリゴはやがてキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。連行されるロドリゴの行列を、泣きながら必死で追いかけるキチジローの姿がそこにあった。

長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、さらにかつては自身も信者であった長崎奉行井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。奉行所の門前では、キチジローが何度も何度もロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは、追い返されている。ロドリゴはその彼に軽蔑しか感じない。

神の栄光に満ちた殉教を期待して牢につながれたロドリゴに夜半、フェレイラが語りかける。その説得を拒絶するロドリゴは、彼を悩ませていた遠くから響く鼾(いびき)のような音を止めてくれと叫ぶ。その言葉に驚いたフェレイラは、その声が鼾なぞではなく、拷問されている信者の声であること、その信者たちはすでに棄教を誓っているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げる。自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、究極のジレンマを突きつけられたロドリゴは、フェレイラが棄教したのも同じ理由であったことを知るに及んで、ついに踏絵を踏むことを受け入れる。

夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。そのとき、踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と語りかける。

こうして踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴを、裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねる。イエスは再び、今度はキチジローの顔を通してロドリゴに語りかける。「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」

踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えの意味を理解したロドリゴは、自分が今でもこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚する。

沈黙 (遠藤周作) - Wikipedia

 本記事の内容

・キリスト教迫害の恐怖について

・そして神の沈黙…

・映画も観るべし

キリスト教迫害の恐怖について

なぜキリスト教が迫害されていたかについては、ポルトガルとの貿易の制限や大浦天主堂が建てられ、かつザビエルというカトリックの指導者が現れたことにより、信者たちがもともと日本に根付いていた仏教式を否定しはじめたこと天皇を神として崇めていた時代なので、もう一人神がいると都合が悪いからなどいろいろな説がありますので興味がある人は調べてみてください。

 

キリスト教の迫害の様子はすさまじく、当然のごとく拷問が行われていました。

本作品に出てくる「穴吊り」という拷問は体をす巻きにして、逆さづりにするものなのですが、血が頭に上って死んでしまわないように耳の下に穴を空けておくんですよ。

 

そして、キリスト教徒が「転ぶ」のを待つのです。

「転ぶ」というのは拷問に耐えられず、棄教することを指しています。

 

当時の拷問については下記のサイトを見てみてください。

キリスト教徒迫害の様子、そして恐怖を感じることができます。

キリスト教殉教者 記念研修会館

 

本作ではこの拷問の様子がより近い距離で描写されています。

 

日本という国には他国の文化というのはまるまるは根付かないんですよ。

例えば下のサイトにも書かれていますが、日本は中国の文化を取り入れましたが、同化はしていません。gendai.ismedia.jp

それは連綿と続き、キリスト教をポルトガル人が持ち込んできてもまったく定着しないのです。

本作でフェレイラという人物が言っている通り、根付かないのではなく「そもそも根がない沼地」なのです。

 

おそらくこれからも日本には「他国の文化」は定着しないでしょう。

グローバル化といいつつも必ず「拒絶」をするはずです。

そして神の沈黙…

本作に登場するロドリゴは、迫害され拷問され命を落としていく日本人キリスト教徒たちをみて、救いが訪れず、ただ神が沈黙をつらぬいていることに絶望します。

 

人々が苦境に立たされているときに現れ救ってくれるのが神ではなかったのか。

そういう思いにうちひしがれてたときにイエスは語りかけました。

 

「沈黙していたのではなく、ともに苦しんでいた」と…

イエスの最期はご存知のとおり十字架にはりつけにされた状態です。

なんのために十字架を背負ったのかを考えろということです。

 

僕的にはなんとも腑に落ちない展開なのですが、ロドリゴは真の意味を理解したようです。

 

僕は恥ずかしながらキリスト教に関する知識はうすいです。

日本人全体がそうなのではないでしょうか。

 

そんな中で著者の遠藤周作は日本人なのにも関わらず、外国人の視点で本作を書いているのでものすごいんですよ。

これはキリスト教、そしてキリスト教徒からみた日本、そして日本のキリスト教迫害について深く理解していないと成しえない業です。

 

というのも、遠藤周作は旧制中学時代にカトリックの洗礼を受けています。

生涯を通してキリスト教を向き合ってきたからこそ書ける小説なのかもしれません。

映画も観るべし

chinmoku.jp

マーティン・スコセッシが監督した『沈黙-サイレンス-』という映画があります。

マーティン・スコセッシ監督は遠藤周作の『沈黙』の大ファンです。

 

僕も観ましたが、拷問の壮絶さや迫害の理不尽さ、キリスト教の布教が不可能であることが伝わってきます。

小説を読んでいなくてもじゅうぶん楽しめる内容ですので、ぜひ観てみてください。