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HASTA LA VISTA BABY

『母性』を読んで、母性がわからなくなった

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僕にとって127冊目となる『母性』の感想です。

 

 『母性』のあらすじ…

女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。母親は言葉を詰まらせる。「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」。世間は騒ぐ。これは事故か、自殺か。…遡ること十一年前の台風の日、彼女たちを包んだ幸福は、突如奪い去られていた。母の手記と娘の回想が交錯し、浮かび上がる真相。これは事故か、それとも―。圧倒的に新しい、「母と娘」を巡る物語。

「BOOK」データベースより

 本記事の内容

・母性は本能的なものなのか

・親子だからといって何でもわかりあえるものではない

母性とは本能的なものなのか

母性とは…

母性は,本能的に女性に備わっているものではなく,一つの文化的・社会的特性である。したがって母性は,その女性の人間形成過程,とりわけ3~4歳ころの母親とのかかわりによって個人差がある。今日では,母性を「生物学的に見て体の中に,受精,妊娠,生産,授乳することのできる生殖機能を備えている性」と限定して使われており,女性が母性機能を持つことへの必要な配慮と保護を加えつつ,社会的参加を含む女性の個性や自己表現機会均等を実現していくことが求められている。

母性(ぼせい)とは - コトバンク より

僕はこの小説を読む前までは「母性」とは本能的に女性にそなわっているものだと思っていました。

しかし、本作を通じて本能的なものとしての母性に対する考え方はゆらいでしまったのです。

 

本作は母である〈私〉とその子どもである〈わたし〉の二人の手記で話が進んでいきます。

〈私〉の判断基準は〈私〉の母(「わたし」からみると祖母)なのです。

 

どんな行動をとるかの基準はお母さんが褒めてくれるか、うれしく思ってくれるのかなのです。

つまりお母さんは永遠に「娘」であることを望んでいる。お母さんが喜んでくれる人生が絶対であると信じています。

 

例として、〈私〉は絵画教室の先生と結婚をするのですが、その理由は母がとてもうれしそうだからだし、台風で家が揺らされ、タンスが倒れてしまったときに母と娘(わたし)のどちらかを助けなければならない状況でも〈私〉は母を選んでいます。(母は拒否しましたが)

 

私は母を基準に生きてきたので、娘が自分のことを考えて行動しないことが許せない。

なんでこんなに愛しているのに、思った通りの行動をとらないんだ、と。

 

まったく母性を持たない状態(誰かの娘である状態)でも母になることができる恐ろしさが伝わってきますね。

 

きっと母子の関係がうまくいっている人は本作を読んでも、何も感じないでしょうし、ともすれば嫌悪感を抱くかもしれませんね。

親子だからといって何でもわかりあえるものではない

ずっと同じ環境にいると、ついついわかりあっていると感じてしまうのですが、他人であることは変わらないわけなので、真にわかりあえるわけありません。

 

ここらへんの妙がわかっていないと、本作の母子のような関係になるかと思います。

母は「母性」をもっているというのは当たり前のことではないし、子どもだからといって何でも親の言うことや考えることに沿って行動するわけではないのです。

 

母(父でもかまいません)が自分のことをわかってくれない、もしくは産まれてこの方、母から母性というものを感じたことがないという人も安心してください。

それはじゅうぶん正常な状態なのですよ。

 

本作はミステリーという側面がありますが、感想記事はそういう部分は除いて「母性」ということについて考えてみました。