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『代表的日本人』について ⑤日蓮上人編

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あなたは『代表的日本人』という内村鑑三が書いた書籍をご存知でしょうか。

『代表的日本人』の簡単に内容を書きますと…

新渡戸稲造『武士道』、岡倉天心『茶の本』と並ぶ、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作。内村鑑三(1861‐1930)が、奔流のように押し寄せる西欧文化の中で、どのような日本人として生きるべきかを模索した書。新たな訳による新版。

「BOOK」データベースより

『代表的日本人』には 西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の生涯が描かれていて、それぞれの人生を通じて日本人としてどのように生きていけばいいか模索した書になります。

 

本記事では中江藤樹に続き、日蓮上人について『代表的日本人』をもとにご紹介いたします。

本記事の内容

・他宗派を攻撃する

・鎌倉にて例外的措置をとられる

・熱意ですべてをくつがえした日蓮

他宗派を攻撃する

日蓮は1222年に安房(現在の千葉)にうまれました。

父はある理由によって世の逃れ、母はひとかどの身分出身で熱心な日輪の信者でした。

 

彼は善日麿という名前で、陰暦の2月16日にうまれたのですが、仏陀が入滅したのは2月15日なので1日後(年はもちろん全然違いますが)に偶然うまれたのです。

 

彼が12歳になったとき僧侶になることが決まりました

当時は社会差別があった時代なので、非凡なものが自分をアピールするには宗教の道しかなかったのです。

 

日蓮が仏教について基本的な知識を学んでいるときに気づいたことが「なぜ仏教は何個もの宗派にわかれているのだろう?仏教で1つではないのか?」ということです。

 

誰もが考える疑問ですが、日蓮はどれが正当なものなのかを知りたかった。

周りにきいても誰も答えてくれないという状況でした。

 

そこで日蓮は考えます。

「経典を年代順に並べて、最後の経典が仏陀の全生涯の教えのすべてが記されているに違いない」と。

伝導最初の12年間をまとめた経典:阿含経

次の16年間の教えをまとめた経典:方等経

3番目の14年間の教えをまとめた経典:般若経

最後の8年間をまとめた経典:法華経

この法華経の中にこそ「万物の原理、永遠の真理、仏陀の本然と悟りの力の秘儀」があるとしました。 

 

日蓮が当時の首府である鎌倉にいくと、上流階級は禅宗、下流階級は浄土真宗が流行っていました。

日蓮は怒ります。

「禅宗なんて無益な思弁にはまってしまっているし、浄土真宗にいたっては阿弥陀とかいうファンタジーを信じてしまっている。仏陀の教えはどこにもみられないじゃないか」と。

 

首府は法をひろめるにはいいけど、学ぶには適していないなと判断します。

 

その後、日蓮はさらに勉強をかさね、下のような結論に至ります。

・法華経があらゆる経典にまさってすばらしい

・最澄によって原形のまま日本にもたらされた

・価値を低く見られている

日蓮は布教活動をしながら、故郷にもどってきました。

しかし、そこで他の宗派を否定したため、追い出されてしまいます。

 

鎌倉にて例外的措置をとられる

懲りない日蓮は鎌倉の松葉ヶ谷に居を定めます。

そして1254年に辻説法(往来する人に説法をきかせる)を日本で初めて開始します。

 

まわりの人にメチャクチャ反発されますが、日蓮は決してめげませんでした。

松葉ヶ谷の草庵も焼き討ちにされます。

 

1260年に時の将軍 北条時頼に「立正安国論」というものを提出します。

ちょうどこのころ、国土を多くの災難が襲った時でした。

 

「立正安国論」には簡単にいうと「正当な法華経をみんな信じないで邪教を信仰しているから災難が襲うんだ。そのうち内乱が起き、外敵の侵略を受けるぞ」ということが書いてありました。

 

明らかな宣戦布告でした。

1261年には伊豆に流されるうえ、1264年には安房にて襲撃をうけ、門下を2人亡くしています。

 

しかし、1268年に蒙古(モンゴル)から国書が届き、外敵の侵略という予言が実現する可能性が高まりました。

当時、僧は処刑してはならないという決まりがありましたが、禅宗を信じていた当時の北条氏は幕府への反抗ということで例外的措置をとり、日蓮を処刑場に連行します。

 

なんと日蓮はこの処刑を免れます。

諸説ありますが、本書には日蓮が死ぬ間際に振り下ろされようとする刃にいっさい恐れをいだかず、念仏を唱えたため処刑人が恐れをなしたからと書いてあります。

 

たしかに「こいつをここで殺したら大変なことが起こるかもしれない」と思ったらもう処刑できませんよね。

 

そして1274年、1281年に蒙古襲来が現実のものとなります。

教科書に必ず書いてある文永・弘安の役ですね。

 

この出来事により日蓮の名声は世の中に広まりました。

熱意ですべてをくつがえした日蓮

日蓮は布教するときに他宗派を攻撃はしましたが、武力はまったく用いていませんでした。

本当に経典だけで、法華経を世に広めた偉人といえます。

 

そして法華経のためだったら死んでもかまわないという覚悟と情熱によって当時の荒波を乗り越えていったのです。

このような情熱があったからこそ、あらゆる危険を顧みず、当時の幕府に「立正安国論」を提出することができたのだと思います。

 

精神論などがあまり好まれない世の中ですが、世の中をくつがえすのはこういったなりふりかまわない情熱なのだと思います。