「ファン」とは何かを考えてみた

*本記事は2019年1月13日に更新されています

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最近、某大物ブロガーの騒動により、「ファン」ってなんだろうということを改めて考えてみました。

 

クリエイターはファンの目を気にする必要はなく、最大限いいものをつくることだけに集中すべきであるという論に対して、多くの人は幻滅していたようでしたが、ファンの起源を考えるとあながち間違えないような気がするのです。

 

なぜそう思うのかについて簡単に書きたいと思います。

本記事の内容

・「ファン」の起源とは?

・自然発生したものについて責任を問うのはどうか

「ファン」の起源とは?

多くの人が勘違いしているのは「ファン」というのは”楽しみ”という意味の"fun"ではありません。

正しくは"熱狂的"をあらわす"fanatic"の略である"fan"が正解です。

 

そもそも、この言葉は1920年に松竹が映画事業に踏み込むさいに招聘(しょうへい)したヘンリー・小谷がアメリカからもちこんだワードなのです。

約100年前に輸入されてきた言葉なのですよ。

 

そして、文明の発達にともなって国民が趣味に時間をもてるようになったときに広まった言葉とのことです。

出典:ファン - Wikipedia

 

文字通り、あることに熱狂的になる人たちのことをファンと呼んでいたわけです。

つまり、ファンというのは自然発生するということですね。

自然発生したものについて責任を問うのはどうか

上記のとおり、ファンというのは自然発生するものです。

たとえば、ピカソなんかは絵を鑑賞する人のことを考えて、絵を描いていたのでしょうか。

 

キュビズムは他人にウケルから考えたものなのでしょうか。

「ちょっとこっちの画風の方が評判がいいぞ~~」みたいな感じで。

 

たぶん違いますよね。

彼は彼なりの考えで絵を描いていたと思います。本人に聞いてみないとわからないですけどね。

 

資本主義が発達したからしょうがない部分があると思うのですが、ファンというのはそもそもの話、勝手に評価して勝手に熱狂するものなのです。

 

なので、クリエイターという視点からしたら、ファンに対して責任をもつというのはかなり苦しい話になるのかなと思います。

 

まぁ心の声としては(変に優秀なビジネスマン面しないで、クリエイターに徹すればいいのに…)というのはありますけどね。

 

ファンは勝手についてきて、勝手に熱狂するという考えは理解できるのですが、ガッツリビジネスしてるじゃんという感じもあるので、多くの人が納得いっていないんだと思いますが。

 

いつの時代もグレーで新しいことが叩かれる世の中なので、僕も自分の考えをもって生きていこうとあらためて思ったしだいです。